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ボロブドゥール観光
インドネシアのジャワ島中部にある仏教遺跡。9層の段台の上に塔を載せたもので、初層の一辺は約120メートル、全高は35メートル。壁面の浮き彫りや小塔の仏像彫刻はグプタ様式で、8〜9世紀の造営と推定される。1814年、密林中から発見された。ボロブドゥール遺跡(ボロブドゥールいせき、Borobudur)は、インドネシアのジャワ島中部のケドゥ盆地に所在する大規模な仏教遺跡で世界的な石造遺跡。世界最大級の仏教寺院。インドから東南アジアに伝播した仏教は一般に部派仏教(上座部仏教)と呼ばれる仏教であったが、ボロブドゥールは大乗仏教の遺跡である。 ボロブドゥール遺跡は、中部ジャワの中心都市カリンの北西約42km、首都ジャカルタからは東南東約400kmに所在し、巨大なムラピ火山などの山々に囲まれた平原の中央に立地する。遺跡総面積はおよそ1.5万m2。高さはもともと42mあったが、現在は破損して33.5mになっている。 シャイレーンドラ朝の時代、大乗仏教を奉じていたシャイレーンドラ王家によって、ダルマトゥンガ王治下の780年頃からナラが開始され、792年頃に一応の完成をみたと考えられ、サマラトゥンガ王(位812年-832年)のときに増築されている(詳細は後述)。 遺跡断面概念図ボロブドゥールは、平原の中央にある径約50mの天然の丘に盛土のうえ、安山岩や粘板岩を積み上げてつくられている。寺院として夜行バス 格安 夜行バス 大阪 夜行バス 京都 夜行バス 神戸 夜行バス 東京 夜行バス 関西に信仰されてきた建造物であるが、内部空間を持たないのが際だった特徴である(エスペラント語版冒頭写真を参照)。 一番下に一辺が約115mの屈折した方形の基壇があり、その上にチークと相似形をなし、やはり屈折した5層の方形壇、さらにその上に3層の円形壇があり、全体で9層の階段ピラミッド状の構造となっている。この構造は、仏教における三界をあらわしていると考えられている(詳細は後述)。なお、それぞれの高さの比は2:3を基調とし、全体で4:6:9の比によって構成されている。 方形壇回廊のレリーフ ボロブドゥールの方形壇回廊(右下にレリーフ)5層の方形壇の縁は壁になっていて、高速バス 夜行バス 高速バス 夜行バスに幅2mの露天の回廊がめぐらされる。方形壇の四面中央には階段が設けられており、沖縄旅行まで登れるようになっている。 総延長5kmにおよぶ方形壇の回廊には、仏教説話にもとづいた1460面におよぶ浮彫彫刻レリーフが時計回りにつづいており、登場人物は1万人におよぶとされている。なお、外層、内層ともに四方に階段をもち、各面いずれも全く同形同構造で、どれを無垢フローリングとするかわからない、幾何学的に均斉な構造となっている。 仏像は、回廊の壁龕(くぼみ)に432体、3段の円形壇の上に築かれた釣鐘状のストゥーパメープルの内部に1体ずつ納められており、いずれも一石造りによって等身大につくられ、計504体を数える(詳細は後述)。 レリーフは、その構図の巧みさ、洗練された浮彫彫刻の技法、細部表現の優雅さで知られ、仏像とともにインドのグプタ美術の影響が強く認められる。 ボロブドゥールの高速バス 格安 高速バス 大阪 高速バス 京都 高速バス 神戸 高速バス 東京 高速バス 関西はまた、その形状から世界最大級のストゥーパ(仏塔)でもある[1]。ストゥーパとは、釈迦の遺骨や遺物などをおさめた建造物であるが、ボロブドゥールは、さらに内部にも多数のストゥーパを有する特異な構造を呈している。 ストゥーパの釣鐘状になっている部分は、一辺23cm大の石のブロックを目透かし格子状に積み上げ、中の無垢材を拝することができるようになっている。漆喰などの接着剤の類は一切用いられていない。 ストゥーパ72基は、全体では三重円を描くように並び、頂上には釈迦のウォールナットを納めたとされる、ひときわ大きなストゥーパがあり、天上をめざしている。この中心塔には大日如来を置かず空洞にしており、これは大乗仏教の真髄である「空」の思想を強調しているとされ、ジャワ仏教の独自性が示されている。 ボロブドゥールは、それ自体が仏教的宇宙観を象徴する巨大な曼荼羅といわれ、一説には、須弥山を模したものとも考えられている。 時代背景 船のレリーフ 円形壇上のストゥーパ ボロブドゥール近景(壁龕のなかの仏像が確認できる)シャイレーンドラ朝は、8世紀半ばから9世紀にかけてオーストラロイド系の民族がジャワ島中部に建てたとされる王朝である。 シャイレーンドラはサンスクリット語で「山からの王」という意味であり、インドシナ半島の古代王国扶南の「プノン」(山)と何らかの関係があるのではないかという推論も唱えられている。この王朝の成立経緯については、シュリーヴィジャヤ王国が8世紀半ば以降にジャワ島中部に進出したという説と、ジャワ王家でシュリーヴィジャヤに君臨した王朝であるという説があり、詳細はいまだ不明である。 大乗仏教を保護し、ボロブドゥールはじめ数多くの仏教建築をのこしたほか、サンスクリットの辞典『アマラテラ』を古代ジャワ語に翻訳している。 ボロブドゥール寺院の造営は、778年のカラサン碑文によれば、ダルマトゥンガ王はヒンドゥー教を奉ずるサンジャヤ王家(古マタラム王国)のパナンカラン王に対し、ターラ(多羅菩薩)をまつるための寺院とシャイレンドラ王家を祀る仏僧のための僧院を建造するよう提案したことによって始まったとしており、780年頃より造営が開始されたものとみられる。それに対してパナンカラン王は、周辺の土地を免税とする代わり、その地からの収入を寺院造営に利用するよう命じたと碑文では記している。サングラーマグナンジャヤ王治下の792年、ボロブドゥール本体の建設を一応完了している。 基壇壁面のレリーフ(上段は釈迦の一生、下段は因果応報のたとえ話)サンジャヤ王家は、シャイレーンドラ朝に服属し、その証として仏教建造物への寄進を行っていたが、シャイレーンドラ王家とサンジャヤ王家との関係は必ずしも敵対的ではなく、サマラトゥンガ王の娘でシャイレーンドラ王女のプラモーダヴァルダニーとサンジャヤ朝の王子ラカイ・ピカタンは婚姻関係を結んでいる。 サマラトゥンガ王治下の824年、ボロブドゥール寺院の工事が再開され、それは833年まで続いている。しかし、サマラトゥンガの死没した832年、王の後継者が未だ幼いことから、その姉にあたるプラモーダヴァルダニーがシャイレーンドラ朝の摂政となった。 釈迦如来その後、実権はプラモーダヴァルダニーの夫ラカイ・ピカタンにうつり、2人はチャンディ・ロロ・ジョングランをはじめとするヒンドゥー建築プランバナン寺院群を建造した。これによって、中部ジャワの地は、再びシヴァ信仰を奉ずるヒンドゥー勢力に支配され、大乗仏教はジャワより後退した。